3月11日

2012年3月11日

3月11日を迎え、あの大災害から一年がたちました。

 

改めてなくなられた方々に哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

また、被災され今なお避難生活を強いられている皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

 

 

今回の震災と透析に関わる事柄について少し思ったことを書いてみようと思います。

 
なお、この文章はすべて当ブログ担当者の個人的な見解です。不適切な表現があるかもしれません。

 

その他の医局員および熊本大学腎臓内科学教室には一切の文責はありませんので、続きをごらんになる方はそのことをご承知おきいただけますと幸いです。

 

 

 

 

 

 

昨年の3月11日は、いつもと変わらない平穏な朝でした。

 

出勤後すぐに、予定されていた実験を行うため動物実験施設へ足を運び、外の情報が入らない環境の中作業に没頭していました。

 

当たり前の日常的な実験を行い、3時すぎだったでしょうか、疲れたなあと医局へ帰って来ました。

 

医局ではテレビの前に大勢が集まり、絶望的な表情をしながらだれも声を上げない重苦しい雰囲気が漂っていました。
そこに映し出されているものはあまりに異様であまりに悲惨で、あまりに現実味のない光景でした。

 

 

 

一体何が映っているのか、一体何が起きたのか、それらを理解するまで時間が必要でした。

 

ここ熊本の日常的で平穏な春の青空が窓の外には広がっていることが、私の混乱に拍車をかけていたように思います。

 

 

 

私たちにできることはないのか、一人ひとりが考え悩んでいました。

 

現地に行くのか、行くことができるのか、どこにどうやって行くのか、行って何ができるのか。

 

現在目の前にいる患者を、仕事を実験を放っておくのか。

 

 

 

 

そんなことをできるはずもなく、皆いつもの日常の仕事をその日以降も継続する他はありませんでした。

 

あまりに変わらなすぎる日常に焦燥感と罪悪感を募らせながら、努めて日常的な振る舞いをしていたように思います。
日がたつにつれ様々な情報が入ってくるようになり、災害の巨大さや、被災者の現状が事細かに伝えられるようになりました。

 

ただ、私たち腎臓医療に携わるものとして、最も気になることは現地での透析医療についてです。

 

なかなかメディアでは取り上げられることはありませんが、透析医療は医療の全分野のなかでも最も災害に脆弱な分野の一つとして以前から認識されていて、学会や現場においても様々な議論が行われてきました。

 

 

 

 

 

透析患者が災害弱者であるというのは、患者本人とは別の要因として

①透析施設に対する電気水道などのライフライン

②透析施設内のコンソール(透析機)等の設備

③透析膜や回路、穿刺針など使い捨て物品の備蓄と物流ネットワーク

④技師や看護師スタッフ

⑤医師の知識経験、責任の所在
⑥患者が施設に到着することができる環境

⑦厚生医療などの社会的経済的バックアップ
これらの要素が十分に機能して初めて透析が正常に行われます。

 

 

 

 

 

 

つまり、透析医療は今回のような大規模災害に際して非常に大きな影響を受けてしまうのです。

 
透析患者さんたちは治療を受けることが出来ないことが直接生命を脅かすことを皆さんご存じです。

 
ただでさえ不安な避難生活のなかで、自らの生命のタイムリミットが迫ってくることをどのように感じながら過ごされていたのでしょうか。

 

想像を絶するほどの大変なストレスであったことでしょう。

 

余震が続くなか情報収集もままならず、ライフラインや在庫の問題に直面しながらも診療を行っておられた先生方は大変なご苦労があったことと思います。

 

当然限界に直面することとなり、現地の病院から患者の移送も行われました。

 

現地や東京の大学病院の先生方が中心となって情報を共有し、重傷者を含む透析患者さんを自衛隊を連携しながら関東を中心として全国各地へ移送されました。
なかには数日間透析を受けることが出来なかった患者さんもいたということですが、体重はドライウェイトを下回り、カリウムなどの尿毒素の蓄積もほとんどなかったようです。

 

被災地が水や食料が不足しどれほど過酷な状況であったかを物語るものです。

 

 
まさにオールジャパンの体制で透析患者への対応がなされていました。

 

今回の震災での情報共有は携帯や固定電話が不通となっている中、インターネットが大変重要な役割を果たしていました。

 

もともと腎臓学会が主催する学術的なディスカッションを目的としたメーリングリストがあり、私も参加していたのですが、そのメーリングリストを介して様々な情報がやりとりされていました。

 

現地の緊迫した状況や悲痛な生の声が否応なしに伝わり、そしてなんとか現状を打開しようと全国の先生方が奮闘されている様子が伝わり、読み返すと今でも胸が熱くなります。

 

 

 

 
災害はいつどこで発生するかわかりません。

 

今度は私たちが当事者として最前線に立つこともきっとあることでしょう。

 

言葉としては適切でないかもしれませんが、私たち若手医師にとって今回の様な大規模な災害は大変大きな教訓となりました。

 

残念ながら災害に対するこれまでの危機管理体制は万全ではなかったといえると思います。

 

ただ、このようだ大規模災害においても全国規模で連携し合い、助け合うことができた腎臓医の結束は大変すばらしいものであると思います。

 

私もその輪の末端にいさせてもらっていることを誇りに思うと同時に、いざ今度は私が当事者となったときに今回の先生方の奮闘をお手本とさせていただき、精一杯の仕事をしようと決意を新たにしたところです。

 

 

最後になりますが、被災地の一日も早い復興と被災された皆様の今後のご多幸をお祈り申し上げます。



熊本大学医学部附属病院 腎臓内科 〒860-8556 熊本県熊本市中央区本荘1丁目1-1  TEL.096-373-5164

ページの先頭へ戻る